上官昭容

上官婉兒

664-710
盛唐の妃嬪。上官庭芝の娘。母は沛国夫人鄭氏高宗の宰相上官儀は祖父。上官儀に連座して父も処刑されると、母とともに掖廷に入ったが、文章に優れたため武則天の寵遇を得て、その詔や文章の大半を担った。中宗が即位するとやはり同じように詔書の作成にあたったが、武三思と通じて肩入れしたため節愍太子李重俊の反乱を招いた。さらに韋皇后安楽公主が中宗を弑逆すると、太平公主と結んで遺詔を偽造して彼女らの権力集中を防いだが、臨淄王李隆基(玄宗)のクーデターで韋皇后・安楽公主もろとも誅殺された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻七十六 列伝第一 后妃上 中宗韋皇后 上官昭容
『旧唐書』巻五十一 列伝第一 后妃上 中宗上官昭容

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最終更新:2024年12月02日 01:17
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