張倚 ちょうき
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盛唐の官人。御史中丞。開元二十九年(741)河北の博・洺等二十四州が水害のため東都および河北に賑恤として派遣された。天宝二載(743)
玄宗のお気に入りとなったため、吏部侍郎の
宋遥・
苗晋卿が諛って子の張奭を首席としたが、
安禄山からの上言によって玄宗は再試験を行わせると、張奭は紙を手に持ったまま一字も書けなかったから、世間の人は「曳白」と呼んだ。そのため宋遥は武当太守に、苗晋卿は安康太守に、張倚は淮陽太守に左遷された。天宝十五載(756)六月、安史の乱がおこると、玄宗は蜀に逃れたが、
陳希烈とともに蜀へ同道しなかった。
列伝・史料
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最終更新:2024年12月20日 00:53