慶王李琮 りそう
?-752
盛唐の宗室。
玄宗の第一皇子。母は
劉華妃。初名は李嗣直。景雲元年(710)祖父の
睿宗が即位すると許昌郡王に封ぜられた。先天元年(712)玄宗が即位すると郯王となり、開元四年(716)安西大都護兼安撫河東関内隴右諸蕃大使となり、慶王に移封し、名を李潭と改めた。涼州都督兼河西諸軍節度大使の後、開元二十一年(733)太子太師となり、名を李琮と改めた。開元二十四年(736)司徒に任じられた(在任736-752)。天宝十一載(752)薨。靖徳太子と諡され、異母弟の
粛宗が即位すると、奉天皇帝と追冊され、妃の
竇氏は恭応皇后と追冊された。狩猟中の怪我により顔面に傷があったという。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 玄宗諸子 奉天皇帝琮
『旧唐書』巻一百七 列伝第五十七 玄宗諸子 靖徳太子琮
外部リンク
最終更新:2024年12月31日 23:31