李瑤

鄂王李瑤 りよう

?-752
盛唐の宗室。玄宗の第五皇子。母は皇甫徳儀。初名は李嗣初。開元二年(714)鄂王に封ぜられ、開元十二年(724)李涓と改名して幽州都督、河北道節度大使を兼任した。開元二十一年(733年)太子太保、兼幽州都督となり、開元二十三年(725)李瑤と改名した。開元二十五年(737)武恵妃によって皇太子李瑛・光王李琚とともに陥れられ、三人とも死を賜い、「三庶人」と称された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 玄宗諸子 鄂王瑤
『旧唐書』巻一百七 列伝第五十七 玄宗諸子 鄂王瑤

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最終更新:2024年12月23日 19:22
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