李瑛 りえい
?-737
盛唐の皇太子。
玄宗の第二皇子。母は
趙麗妃。初名は李嗣謙。景雲元年(710)真定郡王に封ぜられた。父玄宗が即位すると先天元年(712)郢王に封ぜられ、開元三年(715)皇太子となった。開元十三年(725)李鴻と改名し、
薛縚の娘薛氏を妃とした。開元二十五年(737)玄宗が
武恵妃を寵愛すると、自分の子を太子としたい武恵妃に誣告され、鄂王
李瑤・光王
李琚の三兄弟そろって殺害された。子に
李儼・李伸・李倩・
李俅・李備がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 玄宗諸子 太子瑛
『旧唐書』巻一百七 列伝第五十七 玄宗諸子 庶人瑛
外部リンク
最終更新:2024年12月23日 00:52