李玢

延王李玢 りふん

?-784
盛唐の宗室。玄宗の第二十皇子。母は柳婕妤。初名は李洄。母が柳範の孫であるから、学問に秀でた。開元十三年(725)延王に封ぜられ、開元二十三年(735)開府儀同三司となり、李玢と改名した。天宝十五載(756)安史の乱により玄宗が蜀に逃れると、子が三十六人もいて見捨てることができなかったため到着が遅延し、玄宗の怒りを買ったが、漢中王李瑀に弁護されて許され、粛宗のいる霊武に向かった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻八十二 列伝第七 十一宗諸子 玄宗諸子 延王玢
『旧唐書』巻一百七 列伝第五十七 玄宗諸子 延王玢

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最終更新:2024年12月26日 00:40
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