蕭洪

蕭洪 しょうこう

?-836
中唐の偽外戚・官人。貞献皇太后の父母姉はすでに死に、弟は消息不明であったため、その故郷の閩(福建)を調査すると、蕭洪が見出された。皇太后の姉の夫の呂璋に面合わせし、皇太后は本当の弟を見つけたと泣いたから、金吾将軍に任じられた。河陽三城節度使、鄜坊節度使を歴任したが、神策軍の出向費用補償問題で仇士良と対立し、仇士良が新たに弟として蕭本を担ぎ上げたため、長安に召喚されて取り調べを受け、実際には皇太后の弟ではないことが判明し、驩州に流刑となり、道中で死を賜った。

列伝

『新唐書』巻七十七 列伝第二 后妃下 穆宗貞献皇后蕭氏
『旧唐書』巻五十二 列伝第二 后妃下 穆宗貞獻皇后蕭氏

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 蕭洪(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E8%90%A7%E6%B4%AA

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最終更新:2025年01月13日 00:42
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