貞献皇后

貞献皇后

?-847
中唐の妃嬪、皇太后。穆宗の寵姫。姓は蕭氏。閩(福建)の人。穆宗が建安王に封ぜられたときに後宮に入り、文宗を生んだ。文宗が即位すると、尊号を奉って皇太后とし、懿安太皇太后恭僖皇太后とともに「三宮太后」と呼ばれた。この時すでに父母姉を失い、弟は消息不明で、身内は姉の婿の呂璋のみであったから、文宗は母のためにその弟を捜索して、蕭洪蕭本蕭弘が相次いで名乗り出たが、いずれも偽者であった。武宗の時、積慶殿に移って積慶太后と称された。大中元年(847)崩。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻七十七 列伝第二 后妃下 穆宗貞献皇后蕭氏
『旧唐書』巻五十二 列伝第二 后妃下 穆宗貞献皇后蕭氏

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 貞獻皇太后(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E8%B2%9E%E7%8D%BB%E7%9A%87%E5%A4%AA%E5%90%8E

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最終更新:2025年01月17日 15:39
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