恭僖皇后

恭僖皇后

?-845
中唐の妃嬪、皇太后。穆宗の寵姫。姓は王氏。王紹卿の娘。母は張氏。穆宗の皇太子時代に後宮に入り、敬宗を生んだ。長慶年間(821-825)妃にされ、敬宗が即位すると、尊号を奉って皇太后となり、文宗が即位すると宝暦太后と称した。さらに義安殿に居したから義安太后と呼ばれ、懿安太皇太后貞献皇太后とともに「三宮太后」と呼ばれた。会昌五年(845)崩。光陵の東園に葬られた。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻七十七 列伝第二 后妃下 穆宗恭僖皇后王氏
『旧唐書』巻五十二 列伝第二 后妃下 穆宗恭僖皇后王氏

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 恭僖皇太后(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E6%81%AD%E5%83%96%E7%9A%87%E5%A4%AA%E5%90%8E

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最終更新:2025年01月17日 15:38
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