尚献甫

尚献甫 しょうけんほ

?-702
武周の道士・官人。武則天に召され、太史令に任じられたが、粗野のため上級管理の掣肘を受けられない辞退したから、武則天は太史局を渾儀監と改め、秘書省から独立させ、尚献甫を渾儀監とした。上陽宮で学者を集めて方域図を編纂した。長安二年(702)熒惑(火星)が五諸侯(ふたご座)を犯したから、五諸侯は太史の位で、尚献甫の本命の納音が金であり、熒惑は火であり、五行説では火は金に勝つから、自身は死ぬと予言した。そのため武則天は水は金を生むから水衡都尉に任じたものの、その年の秋に卒した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百四 列伝第一百二十九 方技 明崇儼
『旧唐書』巻一百九十一 列伝第一百四十一 方伎 明崇儼

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 尚獻甫(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E5%B0%9A%E7%8C%AE%E7%94%AB

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最終更新:2025年04月11日 19:49
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