慧乗 えじょう
555-630
南朝陳・隋・初唐の僧侶。俗姓は劉氏。十二歳で出家、次第に名声を得て、陳の武帝が仁王斎席を設けると優れたと評された。隋代には
文帝より有徳の僧らととともに昇殿竪義し、とくに優れた者とみなされた。
太宗が秦王時代に、慧乗は様々に問答を交わすなかで、仏教を批判する『十異九迷論』を著した
李仲卿と対峙している。
高祖が釈奠を行った後、博士の
徐文遠、仏僧の慧乗、道士の
劉進喜を召してそれぞれ講経させた。貞観三年(629)長安の大興善寺に有識者が招集され、翻訳事業が進められた。慧乗が証義、
法琳が綴文の役割をつとめた。貞観四年(630)寂。『続高僧伝』に伝がある。
史料
『続高僧伝』巻第二十四 護法下 唐京師勝光寺釋慧乗伝
最終更新:2025年04月13日 02:12