呂子臧

呂子臧 りょしぞう

?-618
隋・初唐の官人。蒲州河東(山西省永済市)の人。隋に仕え、大業年間(605-618)末、南陽郡の丞となる。馬元規が呂子臧を降伏させようと使者を送ったが、これを殺害。煬帝が弑されると、高祖の命を受けた婿の薛君倩に諭されて唐に降り、鄧州刺史、南陽郡公となった。武徳元年(618)朱粲が敗北した機をついて馬元規に攻撃を進言したが、却下された。朱粲が勢力を盛り返すと鄧州に侵攻し、馬元規・呂子臧は南陽に籠城したが、麾下数百人とともに敵軍に突入して戦死した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百九十一 列伝第一百一十六 忠義上 呂子臧
『旧唐書』巻一百八十七上 列伝第一百三十七上 忠義上 呂子臧

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 呂子臧(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E5%91%82%E5%AD%90%E8%87%A7

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最終更新:2025年07月06日 22:40
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