王同皎 おうどうきょう
671-706
盛唐の官人・駙馬。魏晋南北朝以来の名門・琅邪王氏の出身。相州安陽県(河南省安陽市)の人。東晋の王導の十二世の孫。王知道の子。長安年間(701-705)当時皇太子であった
中宗の娘
安定郡主を娶り、二人の間に
王繇が生まれた。神龍元年(705)正月、
桓彦範が
張易之らを誅殺すると、中宗を鼓舞して功があり、右千牛将軍に抜擢され、夫人の安定郡主は公主に進封されたから、王同皎は駙馬都尉となった。神龍二年(706)
張仲之・
祖延慶・
周憬・
李悛・
冉祖雍とともに、専横する
武三思の殺害をはかったが、張仲之・祖延慶からの情報漏洩、李悛・冉祖雍の裏切りにより発覚して、王同皎・張仲之・祖延慶は誅殺された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2025年07月14日 01:21