王潜 おうせん
?-829
中唐の貴族・官人・藩鎮。字は弘志。魏晋南北朝以来の名門・琅邪王氏の出身。
王詮と
永和公主との間の子。
粛宗の外孫にあたる。父・祖父
王繇・曽祖父
王同皎の四代続けて駙馬であった。千牛に補され、元和年間(806-820)将作監に任じられた。左散騎常侍となり、元和十年(815)涇原節度使に任じられた。帰化堡・潘原堡の二砦を築城し、本拠地を原州に復するよう願ったが、度支に却下され、そのため原州は吐蕃の侵攻を受けて陥落した。長慶元年(821)荊南節度使に転任し、在官中に卒した。『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2025年07月15日 00:12