賈循 かじゅん
?-755
盛唐の武将。京兆華原県(陝西省銅川市耀州区)の人であるが、先祖は常山郡(河北省石家荘正定県)の出身。
賈会の子。
賈隠林は従子にあたる。知略に優れ、吐蕃との戦いに従軍し、静塞軍営田使となった。
張守珪が北伐すると、游撃将軍・楡関守捉使となった。安東副大都護となり、
安禄山が平盧節度使となると副使となり、以後安禄山の下僚となった。博陵太守、河東節度副使、鴈門太守を歴任。安禄山が叛乱をおこすと、幽州を守備し、
顔杲卿の誘いにより唐に帰順して安禄山の根拠地を陥れようとしたが、
向潤客に発覚して絞殺された。『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年08月03日 13:20