顔杲卿 がんこうけい
692-756
盛唐の忠臣。
顔元孫の子。
顔泉明・
顔季明の父。字は昕。琅邪郡臨沂県の人。『顔氏家訓』で知られる顔之推の五世孫にあたり、その世系は顔之推→顔思魯→顔勤礼→顔昭甫→顔元孫→顔杲卿である。
顔真卿は父の弟である顔惟貞の子であり、顔杲卿の従弟にあたる。蔭位によって遂州司法参軍となり、兄の
顔春卿・弟の顔曜卿とともに書判抜萃科に及第し、范陽戸曹参軍に遷った。
安禄山により営田判官となり、常山太守に任じられた。天宝十四載(755)十二月、安史の乱がおこると一旦安禄山に面会したが、抵抗を決意して常山長史の
袁履謙とともに計略を練り、土山を守備する安禄山の将軍
李欽湊を殺害、
高邈・
何千年を捕縛し、顔真卿の平原郡とともに孤立無援の中奮闘し、河北諸郡のうち十七郡が唐側に再びつかせることに成功した。しかし反攻にあい、
史思明・
蔡希徳の軍の猛攻により、
王承業からの援軍も来なかったため六日で陥落。捕らえられて長安に送られ、安禄山を罵り続けたため凄惨な処刑を受け、後に発見された遺体には足が片方欠損し、舌も切り取られていたという。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2025年08月01日 09:25