楊朝宗

楊朝宗 ようちょうしゅう

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盛唐の武将。安禄山の部将。至徳元載(756)十二月、張巡が守備する雍丘の補給路・連絡線を遮断すべく、騎馬・歩兵の二万で寧陵を襲撃しようとしたが、機先を制した張巡が寧陵に急行し、寧陵城の西北で張巡・許遠軍と戦い、昼夜数十回の激戦の末敗北。斬首一万級の大敗となり、夜に撤退した。至徳二載(757)正月、尹子奇が同羅(トンラ)・突厥・奚の強兵を率いると、楊朝宗と合流し、兵十三万で睢陽を攻城した。

列伝・史料

『新唐書』巻一百九十二 列伝第一百一十七 忠義中 張巡
『資治通鑑』巻二百一十九 唐紀三十五 粛宗中之上 至徳元載十二月条、至徳二載正月条

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最終更新:2025年08月15日 01:41
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