許遠

許遠 きょえん

709-757
盛唐の官人。高宗の宰相許敬宗の玄孫で、その世系は許敬宗→許昂→許彦伯→許望→許遠である。章仇兼瓊の剣南節度使に辟署され、娘を妻とするよう望まれたが固辞したため恨まれ、高要県の尉に貶された。安禄山が叛くと、推薦によって睢陽太守となった。睢陽攻防戦では、自身の方が高位であったが、張巡の能力を見て自身は兵站管理のみを引き受け、軍事の実権を張巡に手渡した。睢陽が陥落すると捕らえられ、洛陽に連行され処刑された。子に許峴がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百九十二 列伝第一百一十七 忠義中 許遠
『旧唐書』巻一百八十七下 列伝第一百三十七下 忠義下 許遠


外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』許遠
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%B1%E9%81%A0

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最終更新:2025年08月15日 01:39
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