左掖門

左掖門

洛陽、皇城の南面三門(端門・左掖門・右掖門)の一つで、最も東に位置する。左掖門から北に街路である左掖門街が南北に延び、興教門と接続した。北に第四横街が通り、南に洛水が流れ、貞観十一年(637)に大水のため倒壊した。恭帝侗はここで殺害された。景雲元年(710)李重福の反乱で焼き払われた。

参考文献

徐松 撰、愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)

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最終更新:2025年10月29日 18:02
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