劉焯 りゅうしゃく
544-610
隋の官人・儒者・天文学者。士は士元。信都昌亭県(河北省衡水市武邑県)の人也。
劉炫と親しく、詩を
劉軌思に、左伝を郭懋に、礼を
熊安生に師事した。為州博士となり、修国史、兼参議律暦となるも、国子の釈奠について、劉炫と二人で儒者たちを論破したため、恨まれて誹謗され、除名されて庶民となった。在野にあって著述に専念した。
煬帝が即位すると太学博士となり、著述した暦書の採用を求めたが、太史令の張冑の反対のため用いられなかった。『隋書』『北史』に伝がある。
列伝
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最終更新:2025年11月18日 00:00