劉炫 りゅうげん
546頃-613頃
北周・隋の官人・儒者。字は光伯。河間景城の人。
熊安生に師事。
劉焯と親しく、北周に仕えて戸曹従事となり、礼曹従事となる。隋に仕えて国史の編纂、天文律暦の修編にあたるも、
牛弘が天下の失われた典籍を探し求めると、『連山易』『魯史記』といった偽書を百巻以上捏造して賞を受けたが、後に発覚してかろうじて死を免れたが免官・除名されて家に戻った。以後もたびたび牛弘の引き立てを受けたが、不羈の性格が災いしてたびたび災いを受けた。
煬帝が即位すると、やはり牛弘の引き立てで修律令となった。
楊達の引き立てで太学博士となったが、辞任して長平に引きこもった。隋末の戦乱で門弟が多く賊に仕え、門弟が師の窮乏を見かねて手を差し伸べたが、賊が官軍に破られると飢餓状態になり、賊に通じていると思った長吏に入城を拒否され、凍死した。著作に『論語述議』十巻、『春秋攻昧』十巻、『五経正名』十二巻、『孝経述議』五巻、『春秋述議』四十巻、『尚書述議』二十巻、『毛詩述議』四十巻、『注詩序』一巻、『算術』一巻があるも、日本に残存した『孝経述議』を除いて大半が失われた。『隋書』『北史』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2025年11月17日 23:38