史館
長安にあった官衙。史書編纂にあたった。武徳年間(618-623)初頭に隋の制度を引き継いで、秘書省著作局に隷属させたのが始まりであるが、本格的な設置は貞観三年(629)閏十二月で、史館を太極宮内の東側、
左延明門外、門下省の北に置き、
弘文館がその付近に位置した。宰相が監修し、他官を兼領するもの、もしくは位が低いが才能のある者に史館に属させた。
大明宮が完成すると、史館を門下省・
少陽院の南、待詔院の東に遷した。開元十五年(727)三月一日、宰相の
李林甫が監修国史となった。天宝年間(742-756)以後、他官で史職を兼任する者を史館修撰といい、初めて史館に入った者を直館とした。元和六年(811)、宰相
裴垍の建議により、朝廷の官を有する者で史職を領する者を修撰とし、官が高い者一人を判館事とし、まだ朝廷の官を有していない者を直館とした。大中八年(854)、史館の直館二名を減員し、修撰四人を増員し、四季で分掌させた。その他の官吏は、令史が二人、楷書十二人、写国史楷書が十八人、楷書手が二十五人、典書が二人、亭長が二人、掌固が四人、熟紙匠が六人であった。史館は
興慶宮・洛陽にもあり、興慶宮のは起居注の書籍三千六百八十二巻が置かれた。洛陽のは中書省の地に位置したが、手狭となり、史官の記事は門下省に属して疎遠であった。そのため
尹愔の奏上により中書省に遷した。この地はもとは尚薬局尚薬院が位置し、
明福門内にあった。
志・史料
参考文献
徐松 撰、愛宕元 訳注『唐両京城坊攷 長安と洛陽(東洋文庫577)』(平凡社、1994年)
外部リンク
最終更新:2025年11月20日 10:43