円丘
長安郊外に位置した祭祀施設。外郭城南の
明徳門・
啓夏門の間の500m南側に位置した。十二角形で三層からなり、最下部は約52-53m、第二層は40m、第三層は28m、第四層は19-20mとなっており、高さはそれぞれ1.7-2.1mとなっている。階段は十二あり、すべての層をあわせると四十八となる。階段は方角ごとに名称があり、北から時計回りに子陛、丑陛、寅陛、卯陛、辰陛、巳陛、午陛、未陛、申陛、酉陛、戌陛、亥陛で、このうち午陛は皇帝用の南向きの階段である。円丘から36-40m離れたところに円形の壁があり、これが内牆であるとみられる。開皇十年(590)頃、隋によって建造され、郊祀が行われた。そのまま唐に引き継がれた。唐では郊祀・円丘・明堂は合一にされ、いずれも円丘で祭祀が行われ、
禘・雩祀(雨乞い)・巡狩の告祭もここで実施された。龍紀元年(889)に
昭宗が南郊で有事摂祭させたのを最後に史料上から姿を消し、
朱全忠による洛陽遷都とともに放棄され
た。
志・史料
『新唐書』
巻十二 志第二 礼楽二 五礼二 吉礼二 祭祀之節二 円丘
『通典』巻第四十三 礼三 沿革三 吉礼二 郊天下 大唐
『大唐郊祀録』巻四
外部リンク
最終更新:2025年11月23日 23:40