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郭元振

郭元振 かくげんしん

656-713
武周・盛唐の官人・武将。睿宗玄宗の宰相(任711-712、713)。本名は郭震。字は元振で、字によって世間に通行した。魏州貴郷県(河北省邯鄲市)の人。郭善愛の子。進士に及第し、通泉県の尉となり、そこで暴政を行ったが、そのことがかえって武則天の目に止まり、召し出されて諮問され、西域経営の前線に立った。涼州都督、安西大都護、金山道行軍大総管を歴任。吐蕃・突騎施(テュルギシュ)への対応にあたった。睿宗が即位すると景雲二年(711)、吏部尚書、同中書門下三品(宰相)となり、翌年朔方軍大総管となり、また開元元年(713)兵部尚書、同中書門下三品に再任した。玄宗が驪山で講武を行った際に、玄宗の打ち鳴らした太鼓によって儀礼を中断させたため、玄宗の怒りを買い、新州に流された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百二十二 列伝第四十七 郭元振
『旧唐書』巻九十七 列伝第四十七 郭元振

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』郭震
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%AD%E9%9C%87

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最終更新:2026年02月13日 16:57
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