徐文遠 じょぶんえん
550-623
隋・初唐の官人・儒者。本名は徐曠。字は文遠で、字によって世間に通行した。南斉の司空の徐孝嗣の五世の孫。徐徹の子。母の安昌公主は梁の
元帝の皇女。江陵が陥落すると偃師県に連行され、兄の徐文林が書籍を市場で売って糊口をしのいでいたが、それを暗記して五経、『春秋左氏伝』に通じるようになった。門人に
竇威・
楊玄感・
李密・
王世充がいる。隋の開皇年間(581-600)、太学博士となったが、漢王
楊諒の謀反事件に連座して除名された。大業年間(605-618)初頭、
許善心の推薦で国子博士となり、
恭帝侗の国子祭酒となった。
李密のち
王世充に仕え、唐にくだって国子博士となった。孫に
徐有功がいる。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
外部リンク
最終更新:2026年02月26日 01:40