嗣舒王李津 りしん
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盛唐の宗室。その世系は
高祖→舒王
李元名→豫章郡王
李亶→李津である。祖父・父が酷吏のために殺され、神龍年間(707-710)初頭に名誉を回復したが、王位を継ぐべき鄅国公
李昭も同時に誅殺されていたことから、李亶の子である李津が嗣舒王となり、開元年間(713-741)、左威衛将軍となった。子に李万がいる。また娘に李倕(字は淑嫻)がいて、侯莫陳氏に嫁いだが、開元二十四年(734)死去した。2002年に李倕の墓が西安理工大学の敷地から発見され、多数の装飾品が発掘された。
列伝
『新唐書』
巻七十九 列伝第四 高祖諸子 舒王元名
『旧唐書』巻六十四 列伝第十四 高祖二十二子 舒王元名
外部リンク
最終更新:2026年03月06日 01:04