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殷亮

殷亮 いんりょう

735-792
中唐の官人。字は元明。殷寅の子。陳郡長平県(河南省西華)の人。父が病で死の床にあったが、祖母の蕭氏が老いて死を受け入れられなかったから、殷寅の埋葬後、指を切断し、髪を切って父の棺の中に入れ、父生前のように祖母に仕えるよう誓った。校書郎となる。広徳元年(763)来瑱が誅殺されると、門下の客が散去する中、殷亮のみは遺体の側で哭泣し、葬った。貞元四年(788)九月、徳宗が群臣と曲江で宴した際の詩作で、劉太真李紓が上等、鮑防于邵がその次等となったのに対し、張濛ら二十人と共にそのさらに次点となった。後に給事中となり、杭州刺史で終わった。戴叔倫の詩に「殷亮に贈る」があり、著作に『顔氏家伝』がある。

志・列伝・史料

『新唐書』巻五十八 志第四十八 芸文二 乙部史録 雑伝記類
『新唐書』巻一百四十四 列伝第六十九 来瑱
『新唐書』巻一百九十九 列伝第一百二十四 儒学中 殷践猷 寅
『旧唐書』巻十三 紀第十三 徳宗下 貞元四年九月癸丑条

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最終更新:2026年05月09日 23:00
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