王壇 おうだん
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唐末・五代の武将・群雄。もとは
孫儒の将で、孫儒が敗れると、部下三千人とともに睦州の
陳晟のもとに逃れたが、疑われたから、景福元年(892)
陳巌が婺州の
蒋瓖を攻撃すると、婺州を奪取した。婺州が
銭鏐の勢力圏に入ると、私的交戦を禁じられ、それ破ったため、光化三年(900)銭鏐の攻撃を受け、
楊行密に帰順。
康儒の支援を受けたものの敗北し、宜州に逃走。
田頵に用いられたが、田頵が楊行密に叛乱を起こして敗北。楊行密に降って淮南節度副使に任じられた。天祐九年(912)、宣州制置使となる。『十国春秋』に伝がある。
史料
『十国春秋』巻第九 呉九 列伝 王壇
最終更新:2026年07月21日 10:01