李琢
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唐代の軍人。大中年間(847-860)、李琢は安南経略使となったが、統治は苛烈で私物化し、塩一斗で牛一頭と交換し、夷人は堪えられず、南詔の将軍の段酋遷と結んで安南都護府を陥落させ、「白衣没命軍」と号した。宮苑使となり、乾符三年(876)に諸軍行営招討草賊使を拝した。太府卿となり、広明元年(880)、李琢は蔚朔招討都統に任ぜられ、兵数万をひきいて代州にとどまった。
李克用の将・傅文達は蔚州・朔州の兵を徴集したが、朔州刺史の
高文集は、傅文達を縛りあげて李琢のもとに送りつけた。李琢は進んで
李国昌の蔚州を攻めて破った。
本紀・列伝・史料
最終更新:2024年01月25日 23:32