馬植 ばしょく
?-857
中唐の宰相(任848-849)。字は存之。
馬勛の子。牛李の党争では牛党に属する。元和十四年(819)進士・制策科に及第し、饒州刺史・安南都護・黔中観察使を歴任した。長安に戻されて大理卿となったが、
李徳裕が宰相であった間は顕官に任じられず、
宣宗が即位して李徳裕が罷免され、
白敏中が宰相となると刑部侍郎、諸道塩鉄転運使となり、大中二年(848)正月、同中書門下平章事(宰相)に任じられ、六月に中書侍郎となった。しかし翌年三月、親しい間柄であった左神策軍護軍中尉
馬元贄から
宣宗より賜った通天冠・犀帯を贈られたことが発覚し、宰相を罷免されて天平軍節度使となり、さらに私的な交際が発覚したため、宰相と宦官の癒着を嫌った宣宗によって常州刺史に貶された。後に起用されて忠武軍節度使、宣武軍節度使となった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年10月12日 23:58