鄭粛 ていしゅく
?-849
中唐の宰相(任845-846)。字は乂敬。滎陽鄭氏の分家・北楚第二房の出身。家は代々儒者で、祖父の鄭烈、父の鄭閲も共に儒者であった。牛李の党争では李党に属する。進士を状元(首席)で及第。書判抜萃科も及第し、太常少卿となる。荘恪太子
李永の属官となり、諌議大夫兼魯王府長史、給事中、尚書右丞、陜虢観察使となる。荘恪太子が廃太子されようとすると、
文宗に諫言して思いとどまらせた。河中節度使、太常卿、山南東道節度使となり、
会昌五年(845)七月、荘恪太子への至誠を
武宗に評価され、検校尚書右僕射、同中書門下平章事(宰相)となり、
李徳裕と共に宰相の任にあたった。翌年四月に兼中書侍郎となったが、九月、宰相を罷免されて荊南節度使となった。子に
鄭洎がいるほか、娘は王衆仲に嫁ぎ、
王凝を生んだ。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年10月23日 23:50