アットウィキロゴ

盧鈞

盧鈞 ろきん

778-864
晩唐の官人・藩鎮。字は子和。盧計の子。范陽盧氏北祖大房の出身。元和四年(809)進士に及第。さらに抜萃科にも及第して秘書正字を皮切りに監察御史、吏部郎中、常州刺史、給事中、華州刺史を歴任。嶺南節度使、戸部侍郎、山南東道節度使となる。武宗が沢潞節度使(昭義軍節度使)劉稹を滅ぼすと、昭義軍節度使に任じられ、抵抗していた白惟信を降伏させた。兵士五千人を代北への守備へと派遣したが、軍乱を起こされかけ、一旦は収束したが、朝廷の意向もあって、これら兵士を皆殺しにした。宣宗が即位すると、吏部尚書、宣武軍節度使、河東節度使、尚書左僕射となる。朝廷の老臣で声望があり、自身も宰相蜀を望んだが、宰相令狐綯との関係が悪く、外任に出されて同中書門下平章事、山南西道節度使となり、検校司徒、東都留守となった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百八十二 列伝第一百七 盧鈞
『旧唐書』巻一百七十七 列伝第一百二十七 盧鈞

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』盧鈞
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%A7%E9%88%9E

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2026年10月30日 23:44
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。