盧鈞 ろきん
778-864
晩唐の官人・藩鎮。字は子和。盧計の子。范陽盧氏北祖大房の出身。元和四年(809)進士に及第。さらに抜萃科にも及第して秘書正字を皮切りに監察御史、吏部郎中、常州刺史、給事中、華州刺史を歴任。嶺南節度使、戸部侍郎、山南東道節度使となる。
武宗が沢潞節度使(昭義軍節度使)
劉稹を滅ぼすと、昭義軍節度使に任じられ、抵抗していた
白惟信を降伏させた。兵士五千人を代北への守備へと派遣したが、軍乱を起こされかけ、一旦は収束したが、朝廷の意向もあって、これら兵士を皆殺しにした。
宣宗が即位すると、吏部尚書、宣武軍節度使、河東節度使、尚書左僕射となる。朝廷の老臣で声望があり、自身も宰相蜀を望んだが、宰相
令狐綯との関係が悪く、外任に出されて同中書門下平章事、山南西道節度使となり、検校司徒、東都留守となった。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年10月30日 23:44