蔡京 さいけい
?-863
唐代の官人。邕州の人。最初は僧侶であったが、
令狐楚が学を勧めたため、進士に及第した。殿中侍御史であったが、大中二年(848)二月に澧州司馬に貶められた。後に朝散大夫・権知太僕卿・充荊襄巴南宣慰安撫使・上柱国となる。
蔡襲を妬んで安南都護の兵を撤退させ、南詔攻撃による安南失落の一因をつくった。また宣慰安撫使となり、広州をわけて嶺南東道とし、邕州を西道とし、龔州・象州・藤州・巌州を隸属させた。蔡京は検校左散騎常侍・兼邕州刺史・御史大夫・充嶺南西道節度使観察処置等使に任命された。条例に厳しく、法を破った者は炙ったり抉ったり斬ったため、下々は怨み、咸通三年(862)九月、軍は反乱し、蔡京を追放した。蔡京は藤州に逃げ、偽って攻討使の印を制作し、郷兵を召して道軍をならべて邕州を攻めたが勝てず、軍は壊滅して、流罪となって崖州で死んだ。
本紀・列伝・史料
最終更新:2024年06月12日 23:08