崔遠 さいえん
?-905
唐末の宰相(在任896-900、904-905)。字は昌之。
崔澹の子。唐代に「七姓十家」と称され、唐初に編纂された『氏族志』では唐室李氏を抑えて一等とされて
太宗の怒りを買った名門中の名門である博陵崔氏第二房の出身。博陵崔氏からは唐の宰相を十五人輩出しており、崔遠はその最後の人物。龍紀元年(889)進士に及第、進士に及第乾寧三年(896)九月、翰林学士承旨、兵部侍郎から同中書門下平章事(宰相)に任じられ、光化三年(900)九月に罷免された。天祐元年(904)正月、
崔胤が罷免されると中書侍郎、翰林学士を経ての同中書門下平章事(宰相)に復帰。天祐二年(905)三月に罷免され、六月に白馬の禍で
朱全忠に殺害された。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
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最終更新:2026年10月21日 01:01