楊崇本
?-915
唐末・五代の武将・群雄。
李茂貞の養子となり、李継徽と改名した。静難軍節度使となり、
朱全忠が李茂貞の岐と戦い、邠州に侵入すると、楊崇本は降伏して、家族を人質としたが、朱全忠はその妻と事に及んだから、妻は間に人を遣わして楊崇本に、「大丈夫たるものその妻も庇えないのですか。私はすでに朱公の婦となっていまいました。無面とむかって君を見ることはありません。刀と縄があるだけです!」と言ったから、崇本は怒り、梁兵が岐を解囲すると、妻を連れて帰り、再度李茂貞のもとに帰った。再度朱全忠の将の劉知俊・
康懐英と戦ったが大敗し、逃亡した。子の李彦魯に毒殺され、崇本の養子の李保衡が李柳彦を殺して梁に降伏した。
史料
『旧五代史』巻十三 梁書十三 列伝第三 楊崇本
『新五代史』巻四十 雑伝第二十八 楊崇本
外部リンク
最終更新:2023年01月02日 23:53