康懐英 こうかいえい
?-918
唐末・五代の武将。兗州の人。
朱瑾に仕えて牙将となる。
朱全忠の将
龐師古に兗州を包囲され、食料が尽きたため朱瑾は城を出て豊州・沛州で掠奪を行った、康懐英は朱用貞とともに兗州の城ごと朱全忠に降伏した。そのまま朱全忠に仕え、
氏叔琮に従って
趙匡凝を攻めて鄧州を下し、
李茂貞の岐を攻めると先鋒となって岐兵一万人を殺害する軍功をたてた。李周彝が鄜坊の兵で救援にくると、これを撃破し、奉天の東北に陣を張ると、夜に岐兵の攻撃を受けたが、瘡創十箇所の重症を負いながらも撃退した。
楊行密が宿州を攻撃してくると撃退し、宿州刺史、さらに保義軍節度使となった。
丁会が晋に降伏すると、招討使に派遣されたが、消極的であったため
李思安に交代させられたが、李思安も解任され、
劉知俊が後任となり、赴任までの間しばらく軍を指揮下においたが、その隙を李存勗に攻撃されて大敗北を喫した。劉知俊が叛くと保義軍節度使、西路副招討使となって戦ったが敗北、朱友謙が叛くと討伐にあたったが、やはり敗れた。任地で病死した。『旧五代史』『新五代史』に伝がある。
列伝
『旧五代史』巻二十三 梁書二十三 列伝第十三 康懐英
『新五代史』巻二十二 梁臣伝第十 康懐英
外部リンク
最終更新:2024年05月18日 23:42