杜冕
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唐代の官人。鄜坊等州都防禦使、特進試太常卿使、持節鄜州諸軍事、鄜州刺史、兼御史中丞、上柱国、鄭国公。乾元年間(758-760)、党項が邠州と寧州に入寇すると、粛宗は
郭子儀に詔して朔方・邠寧・鄜坊の三節度使の任務を統括させて、鄜州刺史の杜冕と邠州刺史の桑如珪に二部隊に分けて出撃させた。郭子儀が邠州・寧州に到着すると、党項は潰走した。宝応元年(762)、銭一万貫あまりを興善寺不空三蔵に寄進して、経典翻訳を助けた。永泰元年(765)
僕固懐恩が叛くと、郭子儀によって坊州に配置されて守備した。また同年、坊州に赴任中、鄜州に宗属が住んでいたが、仲が悪かった
周智光が鄜州に侵入して鄜州刺史
張麟を殺し、杜冕の宗属八十一人を殺害、民家三千軒に放火して去った。詔して杜冕を梁州に使させて、その間に周智光を入朝させようとしたが、周智光は従わなかった。
列伝・史料
外部リンク
最終更新:2023年01月12日 00:46