高潯
?-881
唐代の武将・藩鎮。交州節度使、昭義軍節度使。
高駢の従孫で、高駢が戦闘の際には常に先鋒となって、矢石の中に危険をおかして兵士をはげました。高駢の後任として交州節度使に推薦された。昭義軍節度使となり、中和元年(881)、
黄巣の乱がおこると五月に華州の攻略に成功したが、八月、賊軍の
李詳の反撃を受けて石橋で戦ったが、敗れて逃走し華州は奪還された。昭義十将の張麟に殺害され、張麟も
孟方立に殺害され、孟方立は留後を称した。
本紀・列伝・史料
最終更新:2023年05月29日 11:23