李涪
?-895以降
唐末の宗室・官人。その世系は太祖→蔡王李岡→西平懐王
李安→李崇敬→李孚→李越客→李津客→李憺→李鉊→李元明→李客容→李涪となる。昭宗の時、金部郎中、河南少尹、国子祭酒、詹事府丞、宗正卿となる。著述を好んで、朝廷でその博学を重んじられ、礼楽の事を諮問されたから、時の人は「周礼庫」と号した。
王行瑜の軍乱で、盛んにその忠義を述べ、必ず罪を悔い改めると言っていたが、王行瑜が逃亡・横死すると昭宗の怒りを買い、嶺南に放逐されて死んだ。著作に『刊誤』二巻があり、五十篇中の四十九篇現存している。
志・表・列伝・史料
最終更新:2023年02月21日 23:27