李安 りあん
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北周・隋の武将。字は玄徳。
李蔚の子。
李虎の孫。
李哲の兄。北周に仕えて右侍上士となり、襄武公を襲爵し、儀同、少師右上士を授けられた。
楊堅が宰相となると職方中大夫となった。弟李哲とともに、叔父の
李璋が趙王宇文祐とともに楊堅の殺害を計画したと密告し、功による昇進を辞退して、李璋の子に罪を及ぼさせなかった。開府儀同三司、趙郡公となる。隋が建国されると、内史侍郎、尚書左丞、黄門侍郎に任じられた。陳の征討にあたって、
楊素の部下として司馬、兼行軍総管となり、蜀の兵を率いて長江を東下し、陳軍を急襲して撃破。上大将軍、郢州刺史、鄧州刺史に任じられ、左領左右将軍、右領軍大将軍となった。開皇八年(588)突厥が隋を攻撃してくると、行軍総管となり、楊素に従って突厥を討伐した。仁寿元年(601)寧州刺史となる。柱国となるも、水腫を患って卒した。子に
李瓊・
李琛・
李孝恭・
李瑊・
李瓌がいる。『隋書』『北史』に伝があり、『新唐書』に極めて短い伝がある。
列伝
『隋書』巻五十 列伝第十五 李安
『北史』巻七十五 列伝第六十三 李安
『新唐書』
巻七十八 列伝第三 宗室 太祖諸子 西平懐王安
外部リンク
最終更新:2025年07月13日 10:09