田令孜

田令孜 でんれいし

?-893
晩唐の宦官・権臣。字は仲則。蜀の人。本は陳氏で、陳敬瑄の弟。宦官となって田氏の養子となり、咸通年間(860-874)小馬坊使となり、僖宗が即位すると左神策軍中尉となった。僖宗が即位以前に世話をし、「父」と呼ばれた。僖宗が即位すると寵愛と禁軍支配を背景として朝廷の権力を握ったが、黄巣が反乱をおこすと隠蔽し、広明元年(880)黄巣軍が長安に迫ると僖宗とともに兄陳敬瑄が西川節度使をつとめる蜀に脱出した。中和五年(885)長安に帰還したが、同年、両塩池の支配を巡って王重栄と対立し、朱玫李昌符とともに王重栄を攻撃させたが、王重栄を支援した李克用に敗れ、僖宗とともに長安から逃亡した。光啓四年(888)長安に戻ると僖宗が崩じ、昭宗が即位すると、楊復恭は代わって観軍容使となり、兄のいる蜀に逃亡した。蜀は王建に攻められて幽閉され、二年後兄とともに刑死した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻二百八 列伝第一百三十三 宦者下 田令孜
『旧唐書』巻一百八十四 列伝第一百三十四 宦官 田令孜

外部リンク

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最終更新:2024年09月07日 22:22
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