阿史那承慶
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唐代の武将。
安禄山の部将。突厥の種族。安禄山の子飼いの将で、
安慶緒の時代になると、洛陽が陥落したため、軍三万を率いて恒州・趙州に逃げ、さらに范陽に逃げた。献城郡王に封じられた。至徳二載(757)、
史思明が唐に降伏しようとした際、安慶緒によって史思明のもとに派遣されたが、捕らえられた。その後史思明に仕えたようであり、
烏承恩が史思明を誅殺しようとした際に、持ち物の中から阿史那承慶に賜う鉄券(朝廷より発給された罪を許す割符)が発見された。洛陽の守備にあたり、史思明が殺害されると
史朝義側の軍を追撃をうけ敗れた。その後、
史朝義に従い、宝応元年(762)に、唐が漢人の兵のみであった場合は戦い、回紇とともに来襲したら河陽に退却するよう進言したが受け入れられなかった。
列伝
外部リンク
最終更新:2023年04月18日 01:21