段彦謩

段彦謩

?-882
唐末の武将・藩鎮。段彦謨とも。広明元年(880)、荊南の地は山南東道節度使の劉巨容の地であり、忠武別将の宋浩が荊南を領し、泰寧軍の将であった段彦謩は補佐した。宋浩との関係が悪化すると、楊復光の示唆により宋浩を殺害し、楊復光の推薦により朗州刺史、後に荊南節度使に任じられた。また曹全晸に代わって江西招討使に任じられた。中和二年(882)荊南監軍の朱敬玫との関係が悪化し、殺害された。

本紀・列伝

『新唐書』巻九 本紀第九 僖宗 広明元年正月戊寅条、中和二年六月己亥条
『新唐書』巻一百八十六 列伝第一百一十一 陳儒
『新唐書』巻二百七 列伝第一百三十二 宦者上 楊復光
『新唐書』巻二百二十五下 列伝第一百五十下 逆臣下 黄巣

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最終更新:2023年05月23日 01:02
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