曹全晸

曹全晸 そうぜんてい

819-881
唐末の武将・藩鎮。曹翔の父。曹翔平盧節度副使。乾符四年(877)王仙芝黄巣が蜂起すると、正使の宋威とともに幾度も破った。淄州刺史となり、乾符六年(879)天平軍節度使の張裼が死んで牙将の崔君裕が自ら州の事を司ると、鄆州で崔君裕と戦って敗死させた。江西招討使となり、黄巣が襄陽に侵攻すると、襄陽節度使の劉巨容とともに荊門に砦を築いて防いだ。伏兵で黄巣を撃破し、長江をわたって追撃しようとしたが、江西招討使を罷免されたため、渡河を中止した。広明元年(880)七月、天平節度使兼東面副都統に任命され、九月に淮河で黄巣と戦ったものの敗北した。中和元年(881)十月に戦死し、天平軍は兄の子の曹存実を立てて留後とした。

本紀・列伝・史料

『新唐書』巻九 本紀第九 僖宗 乾符六年是歳条
『新唐書』巻二百二十五下 列伝第一百五十下 逆臣下 黄巣
『旧唐書』巻十九下 本紀第十九下 乾符四年三月条、広明元年三月条
『資治通鑑』巻二百五十四 唐紀七十 中和元年十月条

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最終更新:2024年06月13日 01:52
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