和思趙皇后

趙氏

?-675
初唐の后妃。中宗の親王時代の妃。趙瓌常楽公主の娘。中宗が英王であったときに妃となった。母の常楽公主は高宗に重んじられたが、武后はそれを嫌い、趙瓌を左遷して、妃は内侍省に幽閉されて餓死した。中宗が復辟すると妃を追諡して恭皇后とし、中宗が崩御すると、韋皇后が中宗を弑逆したため韋皇后とは合葬できず、恭皇后に和思順聖皇后を加諡して定陵に合葬した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。


列伝

『新唐書』巻七十六 列伝第一 后妃上 中宗和思順聖皇后趙氏
『旧唐書』巻五十一 列伝第一 后妃上 中宗和思皇后趙氏

外部リンク

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』和思趙皇后
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%80%9D%E8%B6%99%E7%9A%87%E5%90%8E

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最終更新:2025年02月03日 10:00
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