林言
?-884
唐末の武将。
黄巣の従兄弟・部将。広明元年(880)黄巣が皇帝となると、剽悍雄偉な者五百人をえらんで功臣と名づけ、林言をその使(責任者)とし、控鶴府になった。
尚譲とともに鳳翔に攻め入ったが、
鄭畋の部将の
宋文通に破られ、前進できなくなった。中和三年(883)二月、尚譲らとともに十五万を率いて
李克用と戦ったが、大敗した。黄巣が唐軍に追い詰められると、黄巣およびその兄弟、妻子を介錯して逃れたが、
時溥に殺害された。
列伝
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最終更新:2023年05月29日 09:46