時溥

時溥 じふ

?-893
唐末の武将・群雄。徐州彭城の人。感化軍節度使の牙将となる。黄巣の乱がおこると、軍乱のため節度使支詳を追放し、留後に推戴された。僖宗から武寧節度使に任じられた。黄巣討伐に尽力し、東面兵馬都統を授けられ、尚譲を降し、黄巣の首を得たため、功第一となり、検校司徒、同中書門下平章事、検校太尉、兼中書令、鉅鹿郡王に昇進した。朱全忠を功績を争って憎みあい、行軍中の朱全忠軍を襲撃したから、毎年一方的に攻撃・掠奪される事態となり、民間の死者は七割以上に及んだ。講和を求めたが、結局ならず、朱瑾の援軍で一時期盛り返したものの、結局徐州は陥落して、燕子楼で妻子とともに焼身自殺した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。

列伝

『新唐書』巻一百八十八 列伝第一百一十三 時溥
『旧唐書』巻一百八十二 列伝第一百三十二 時溥

外部リンク

維基百科,自由的百科全書 時溥(中文)
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E6%99%82%E6%BA%A5

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最終更新:2024年05月23日 23:43
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