路審中
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唐末の官人。武寧軍節度使の
崔彦曾の部下であり、崔彦曾に抜擢されたが、咸通九年(868)
龐勛の乱で崔彦曾が殺害されると、路審中は賄賂を龐勛の軍に送り、崔彦曾の遺体を回収して埋葬を行った。官軍が反撃すると死士を募って官軍に内応して南白門を開け、賊が平定されると嵐州刺史に任じられ、宰相
鄭畋にその忠節を褒賞され、右羽林将軍に抜擢された。杭州刺史となるも、中和三年(883)に石鏡鎮の将の
董昌に杭州刺史を追放され、黄州に逃亡した。中和四年(884)に鄂州刺史の
崔紹が卒したことを聞いて、兵士三千を募って鄂州に入って守った。光啓二年(886)、安陸賊の周通に攻撃されて逃亡した。
本紀・列伝
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最終更新:2023年06月04日 16:31