杜審言
648-708
初唐の詩人。襄陽(湖北省襄陽県)の人。字は必簡。
杜甫の祖父。670年進士に及第。地方の官職についたが、性高慢で人に憎まれ、いちじ退隠し、のち則天武后にみいだされて出仕、嶺南に左遷されたこともあるが許され、国子監主簿・修文館直学士で終わった。
李嶠・
崔融・
蘇味道と並んで「文章四友」の称があった。また
沈佺期・
宋之問とならんで、形式美をとうとぶ初唐宮廷詩の代表的作者で、律詩の体の完成に功献するところ大である。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
参考文献
『アジア歴史事典6』(平凡社,1960年)
外部リンク
最終更新:2023年06月09日 12:27