淮陽王李道玄 りどうげん
604-622
初唐の宗室・武将。
李贄の子。
李絵の孫。
李虎の曾孫。
李道明の兄。唐が成立すると宗室の係累のため武徳元年(618)淮陽王に封ぜられた。年十五歳にして、秦王(後の
太宗)に従って
宋金剛・
王世充との戦闘で軍功をあげ、洛州総管、後に洛州刺史、山東道行軍総管となる。
劉黒闥との戦いで、
史万宝を率いて下博で戦うも、史万宝が後援しなかったため敵中孤立して戦死した。わずか十九歳であった。子がなかったため、王位は弟が継承した。『旧唐書』『新唐書』に伝がある。
列伝
『新唐書』
巻七十八 列伝第三 宗室 太祖諸子 淮陽王道玄
『旧唐書』巻六十 列伝第十 宗室 太祖諸子 代祖諸子 淮陽王道玄
外部リンク
最終更新:2024年09月22日 00:21